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量子力学実験 心は波動が粒子か

遠隔治療の基礎理論

「量子の絡み合い」の謎を解明した人々とその理論

量子力学は絡み合いの謎を解明しようとすることで発展してきた。「量子の絡み合い」と言っても何のことかわからない。遠隔治療と言うのは施術者がまじなうとか祈るなどして、遠くにいる患者に治療の作用力を及ぼすことを言う。量子力学は初め、従来の古典物理学では理解不能な現象を、正確に説明するために考え出された。量子力学は実験結果と極めて良い一致を見せたので、多くの物理学者は量子力学の正しさを確信した。ところが量子力学によれば、あらゆるものはランダムな性質を持ち、全ての性質を正確に決定するのは原理的に不可能だという。かのアインシュタインはこれをばかげた話だと考え、「神がサイコロ遊びをするはずがない」と言う有名な言葉を吐いた。そしてアインシュタインとその同僚のポドルスキー、ローゼン(EPR)は、もし量子力学を信じれば、お互いに遠く離れた二つの粒子が瞬時に影響を及ぼしあう可能性が出てくるというのだ。これが「絡み合い」と言う現象である。彼らはこんな現象は我々の持つ常識的な世界観に真っ向から反するものなので、このような帰結を導く量子力学は間違っているはずだと主張した。そうは言ってもアインシュタイン自身が構築した相対性理論はそれまで我々が持っていた絶対的な時間空間と言う概念をひっくり返したのだ。したがって、直感に反するというだけの理由で、その理論が間違っていると言い切ることはできない。そこでジョン・ベルと言う物理学者が量子力学の成否を判断するための不等式を考えついた。もし実験によってこの不等式が成り立っていることが証明されれば、アインシュタインの主張が正しく量子力学は間違っていることになる。逆に不等式が成り立たなければ量子力学が正しくアインシュタインの反論は無効だったことになる。この実験を行うのは技術的に困難だったが、何人もの物理学者が工夫を重ねてこの実験に挑戦した。そしてついに量子力学に軍配が上がった。結局はEPRの主張は間違っていたのだ。EPRがあり得ないとした「絡み合い」はあり得る現象であり、数学的に正確に記述できる現象であることが証明された。それにしてもアインシュタインはしぶとい。結局、否定されたとはいえ彼が考案したEPR仮説が生き残ったのである。

どんな偉大な物理学者でも絡み合いとはどんなものか、そしてなぜ絡み合いが起こるのかを頭の中で真に具体的にイメージできる人はいない。我々に許されたアプローチの仕方は、数学を信じて方程式に頼り切るか、あるいは不完全な比喩をいくつも使って漠然としたイメージを得るしかない。物理学者は前者の方法をとるが、我々一般人には後者しか選択肢はない。そこで、サンジーヴィニの量子力学実験の企画者としては、物理学者が絡み合いと言う現象をどうとらえていたかを引用して描くことによって、実験参加者の理解を少しでも具体的なものにしようと思う。いきなり問題の核心に切り込むよりも、そこに至るまでの量子力学開拓の歴史も有益と思う。数冊の著書から抜き書きして以下にまとめてみた。量子力学実験に役立てていただければ幸いである。

トマス・ヤング(イギリス)

物理学における彼の最大の業績は、光の波動理論を実証しようとしたことだった。ヤングは今では有名な二重スリット実験を行い波動理論の正しさを証明する干渉効果の存在を明らかにした。干渉パターンは波の存在を裏づけるものである。なぜなら波はお互いに干渉するが、粒子は干渉しないからだ。

マックス・プランク(ドイツ)

量子論を生み出したのはマックス・プランクの行った研究であった。プランクはすぐに答えに飛びつくのではなく、ゆっくり系統立てて考えるタイプだった。エネルギーは量子化されている。エネルギーは連続的に増減せず、常に基本的な「量子」の倍数になっているというのだ。プランクの式はまるで魔法だった。エネルギーは不連続な塊であり、その大きさは振動数に依存する。プランクは量子を生み出した。その瞬間から物理学は変わった。その後数十年で量子は確かに実在し少なくとも原子や分子や電子や中性子や光子などの微小の世界では、自然界は量子を基本として振る舞うことを裏付ける沢山の事実が見いだされた。しかし「なぜ量子か?」と言う問いには彼のみならずその後何世代もの物理学者や哲学者が問い続けることとなった。

ニールス・ボーア(デンマーク)

ボーアの画期的な発見とは、原子を古典論で説明するのは不可能で原子に関するすべての現象は量子論に基づいているというものだった。ボーアは初めもっとも単純な原子である水素原子の解明に焦点を当てた。ボーアはなぜ水素原子は特定の振動数の光だけを放射するのかを解明する式を見つけようとした。ボーアは各振動数の放射は電子が原子中にあるエネルギー準位からより低い別の準位へと飛び移るときに起こると結論した。電子がある準位から別の準位へ飛ぶと二つの準位のエネルギー差が「エネルギー量子」の形で放射される。ボーアの研究はさらに発展して他の元素における電子の軌道やエネルギーを説明し、元素や化学結合などの基本的現象の理解へと我々を導いた。

ド・ブロイ(フランス)

波動と粒子の二重性の発見がド・ブロイの役割である。「粒子を進行波の中の局在した一部分と見なすことによって波動と粒子を確実に結び付けることができるのではないか」と、ド・ブロイは考えた。宇宙のあらゆる粒子は空間を伝わる波動と結びつけられた。粒子は運動量を持っている。そしてこの運動量は粒子と結びついた波動に直接関係づけられた。つまりド・ブロイの公式によれば量子力学における粒子の運動量はプランク定数割る波の波長に等しくなる。

エルウイン・シュレジンガー(オーストリア)

シュレジンガー方程式は量子力学が支配する微小世界における粒子の統計的なふるまいを記述する数学的規則である。シュレジンガー方程式は微分方程式の一種である。微分方程式とはある量とその微分つまり変化の割合との関係を表す方程式である。例えば速度は位置の微分(変化の割合)である。時速100Kで移動すれば、道路上での位置は1時間当たり100Kの割合で変化する。加速度は速度の変化率である。(車が加速すれば車の速度は増加する)したがって加速度は位置の変化率、つまり位置の「二次微分」となる。位置と速度と加速度の関係を表す方程式は二階の微分方程式となる。
シュレジンガー方程式が明らかにした量子論の特徴は「確立」と「重ね合わせ」である。重ね合わせの原理は量子力学で最も重要である。量子力学が真にその奇妙さを発揮するのは、粒子が自分自身と重なり合う時だ。量子系に複数の粒子が含まれる場合、重ね合わせの原理は「絡み合い」現象を生じさせる。この場合自分自身と干渉するのは個々の粒子ではなく系全体である。シュレジンガーが「絡み合い」と言う用語を初めて使ったのはEPR論文に対する考察においてであった。個々の状態が分かっている二つの系が、お互いの間に働く力によって一時的に物理的相互作用を及ぼしあい、しばらくお互いに影響を及ぼしあったのに再び離れた場合、二つの系はもはや以前のようにそれぞれの系が個々の状態を持つとして記述することはできない。「これは量子力学の数ある特徴の一つではなく、量子力学そのものである」と私は言いたい。とシュレジンガーは言う。

ハイゼンベルグ(ドイツ)

シュレジンガー方程式は量子力学が支配する微小世界における粒子の統計的なふるまいを記述する数学的規則である。シュレジンガー方程式は微分方程式の一種である。微分方程式とはある量とその微分つまり変化の割合との関係を表す方程式である。例えば速度は位置の微分(変化の割合)である。時速100Kで移動すれば、道路上での位置は1時間当たり100Kの割合で変化する。加速度は速度の変化率である。(車が加速すれば車の速度は増加する)したがって加速度は位置の変化率、つまり位置の「二次微分」となる。位置と速度と加速度の関係を表す方程式は二階の微分方程式となる。
シュレジンガー方程式が明らかにした量子論の特徴は「確立」と「重ね合わせ」である。重ね合わせの原理は量子力学で最も重要である。量子力学が真にその奇妙さを発揮するのは、粒子が自分自身と重なり合う時だ。量子系に複数の粒子が含まれる場合、重ね合わせの原理は「絡み合い」現象を生じさせる。この場合自分自身と干渉するのは個々の粒子ではなく系全体である。シュレジンガーが「絡み合い」と言う用語を初めて使ったのはEPR論文に対する考察においてであった。個々の状態が分かっている二つの系が、お互いの間に働く力によって一時的に物理的相互作用を及ぼしあい、しばらくお互いに影響を及ぼしあったのに再び離れた場合、二つの系はもはや以前のようにそれぞれの系が個々の状態を持つとして記述することはできない。「これは量子力学の数ある特徴の一つではなく、量子力学そのものである」と私は言いたい。とシュレジンガーは言う。

リチャード・ファインマン(アメリカ)

ファインマンは古典的な「最小作用の原理」を量子力学に適用し「経路積分」と言う方法を編み出した。この方法では粒子がある点からある点に移動するときに採り得るすべての経路を考慮に入れる。各経路が実現する確率は決まっているので粒子がとる確率の最も高い経路を見つけることができる。ファインマンの方法では可能な各経路に伴う波動の振幅から全体の振幅の和を計算し共通の始点終点を持つあらゆる可能な経路に関する確率分布を見つけることができる。
ある光源らある標的に向かって光が発射されるとする。光源と標的を結んだ直線状に障害物があるとする。光源から標的までの経路は、直線からずれた経路も含めると、かなりの本数を引ける。これらすべての経路についてかかる時間を「砂時計」で測ってみる。砂時計が落ちきる前に標的に着ければセーフ、たどり着けなければアウトだ。まず、遅い砂時計(例えば赤外線)で測ると、直線経路でも大きくずれた経路でも、どちらも砂が落ちきってしまう間に標的にたどり着ける。ところが、早い砂時計(例えばX線)で測ると、迂回経路をとれない。赤外線ならとれる経路がX線では取れないのである。(砂時計を使った実験模式図が示すところでは紫外線の中で測った砂の落ち方と赤外線の中で測った砂の落ち方では紫外線の方が早く砂が落ちてしまう)砂時計の速さは光の波長が長ければ長いほど遅くなる。光について、ある程度、比喩的に説明してみたが、もう少し別の方法で光の性質を考えてみよう。実は砂時計による光の性質の説明は、古典力学だけでなく量子力学を考慮することに相当する。量子力学では光自身が持っている時計(=振動数)を考え、あらゆる経路について時計の針の方向をベクトル的に足す。すると振動数の大きな光は直進し、振動数の小さな光は障害物を避けて回り込むことが説明できるのである。これは「ファインマンの経路和の方法」と呼ばれ、量子力学では必須のテクニックの一つになっている。
ファインマンの方法では、可能な各経路に伴う波動の振幅から全体の振幅の和を計算し、共通の始点終点を持つあらゆる可能な経路に関する確率分布を導くことができる。シュレジンガーの波動関数とハイゼンベルグの行列式とファインマンの経路和は等価である。

フォン・ノイマン(ハンガリー)

フォン・ノイマンはゲッティング大学でハイゼンベルグの講演を聴いた。その講演は行列力学に関するもので、ハイゼンベルグの方法とシュレジンガーの方法との違いを説明するという内容だった。聴衆の中には当時もっとも偉大な数学者ヒルベルトもいた。ヒルベルトはハイゼンベルグの量子力学の説明を理解できず助手に解説してくれと頼んだ。フォン・ノイマンはこれを見て、この老数学者に量子力学を彼の分かる方法、つまり数学を使って説明しようと決めた。フォン・ノイマンは説明の中で「ヒルベルト空間」の考え方を用いヒルベルトを大いに喜ばせた。
現在の物理学者も微小の世界を説明し解析する際にはヒルベルト空間を用いる。ヒルベルト空間とはノルム(距離に相当する値)をもち「完備性」を具えた線形ベクトル空間のことである。フォン・ノイマンは「量子力学の数学的基礎」と言う本を書き、複素平面上のベクトルに関する幾何学は量子力学における系の状態と同じ形式的性質を持つことを証明した。また、量子系の不確定性を小さくしてくれるような「隠れた変数」が存在しないことを証明する定理を導いた。後にジョン・ベルはこれをひっくり返すことになる。それでもフォン・ノイマンは量子論の数学的基礎に関する開拓者の一人であり、彼が残した業績は重要である。

アインシュタイン(ドイツ)

アインシュタインは、光は「量子」と呼ばれる粒子の流れだという仮説を立て光と物質の相互作用について研究した。様々な金属に様々な振動数の光を用いて、光電効果について実験したところ、金属表面に当たる光の振動数が小さく閾値以下の場合光電効果は発生しない。光の振動数が閾値より大きな場合は光電子が発生するが、振動数を一定にしたまま光の強度を変化させても光電子の数が変わるだけでそのエネルギーは一定のままである。そして振動数を変化させたときのみ光電子のエネルギーは変化する。光の古典論ではこの現象を説明できない。なぜ光の強度を上げても光電子のエネルギーは変化しないのか?なぜ振動数を変えると電子のエネルギーが変化するのか?なぜ振動数がある閾値以下の場合光電子は発生しないのか?アインシュタインは研究の結果を論文に著した。その中で彼は光は粒子(光子)でできていると仮定しそこにプランクの量子の考え方を当てはめた。光と物質の相互作用と言う説明のつかない現象を見事に解き明かしたこの量子論によってノーベル賞を受賞した。彼は「特殊相対論」と「一般相対論」によってマクロな世界を誰よりも理解し、微小世界の量子論にも大きな貢献をした。しかし彼の信念は量子力学の解釈とは相いれなかった。

デヴィット・ボーム(アメリカ)

デヴィット・ボームはプリンストンで量子力学の原理について研究し、1952年にEPR問題に対する画期的な解釈を見出した。EPRの論文に記されていた量子論への挑戦状を改良し、この「パラドックス」に込められた問題を、もっと明快かつ簡潔で理解しやすい形へと焼き直したのである。EPRの方法では運動量と位置と言う二つの変数が使われていたが、ボームは一つだけの変数を持つ二つの粒子を用いた思考実験を考えついた。彼は物理変数として、二つの粒子の「スピン」に注目した。EPRと同様にボームの方法でも、二つの粒子はお互いに離れた場所に位置する。したがってどちらの粒子のスピンを測定してもそれが時間的空間的に離れたもう一つの粒子に直接影響を及ぼすことはない。電子などの粒子はスピンと言う属性を持っている。このスピンと言う属性は、実験者がどんな方向を選んでも、それぞれその方向に対して独立に測定できる。つまり、どの軸を選んで測定しても実験者は「上向きのスピン」あるいは「下向きのスピン」のどちらかの答えを得るのである。二つの粒子が絡み合っていてそのスピンの和がゼロの場合、この状態は「一重項状態」と呼ばれる。この場合二つの粒子のスピンは強いつながりを持っていて一方のスピンが上向きならば、もう一方スピンは必ず下向きになる。スピンが本当のところ何者なのかは誰にも分からない。
「量子的な絡み合い」これは全く驚くべき現象である。「量子的非局在性」と言う表現を好む人もいる。もともとはアインシュタインと彼の同僚であるポドルスキーとローゼンから生まれた発想でEPR実験として知られている。おそらくデヴィット・ボームの説明が一番わかりやすいだろう。スピン0の粒子一個がスピン二分の一の二個の粒子例えば電子と陽電子に分裂して、お互いに反対方向に飛び出すとする。次に離れた地点ABに飛んでゆく粒子のスピンを測定する。ここでジョン・ベルによる大変有名な定理(ベルの定理)があり、それによると二地点ABでの測定結果の統合確率[複数の測定である結果が同時に得られる確率]に関する量子力学の予想と任意の“局所(的)実在””モデルとは一致しないのだという。“局所実在”モデルとは、電子はAにおける物質、また陽電子はBにおける別の物質であってこの二つの物質は互いに分離しているという考え方である。すなわちいかなる方法でもこれら二つはつながっていないのである。この局所実在の仮説を用いるとAB二地点で行われる測定の結合確率は量子力学のそれと一致しない。ジョン・ベルはこの事実 ― 量子論と局所実在仮説の不一致 ― を非常に明確なものにした。しかし二個の光子が別々の独立した実在であるという自然な仮説は破られたのである。アスペの実験は約12メータにわたって量子的な“絡み合い効果”を立証した。強調しておくが、こうした“非局所”効果では事象ABと言う別々の地点で起きるがその二つはミステリアスな方法で繋がっているのである。二つの事象が結びつく“絡み合う”事象は非常に微妙である。そのつながり方は神秘的でそれを用いてAからBへ信号を送ることなど全く不可能である。量子的な“絡み合い”とは誠に奇妙な現象である。それは物質が分離していることと、互いに繋がっていることとの中間あたりの状態に当たる。
量子論と絡み合いに対する理解を深めるうえでボームが果たした役割は重要である。EPR思考実験のボームによる改良版は、実験屋や理論屋が絡み合いを研究する上でその後何十年も用いられてきた。さらに1957年、ボームとアハラノフはEPRパラドックスを検証するための必要条件を列挙した。彼らは粒子がEPRの言うように振る舞わないことを確かめるためには、遅延選択実験を行う必要があると主張した。
ホィーラーの遅延選択実験 (delayed choice experiment) は 1978 年に john Wheeler によって提唱された 思考実験で 後に実験によって確かめられた。
驚くべきことに、この実験においては 我々は 光子の過去の状態を 何と未来から変える (= 遅延選択)ことが可能なのである。
これはつまり、我々が 未来から過去の情報をコントロールできることを意味している。

ジョン・ベル(北アイルランド)

ジョンは物理学に秀でていたが大学での量子論には納得していなかった。彼は心の中で、量子論には講義で説明されることのない謎が存在することを理解していた。そしてのちに自分の研究がそうした問題に光を当てることになろうとは当時の彼は知る由もなかった。欧州核原子力研究所(CERN)ではほとんど理論素粒子物理学と加速器の設計に時間を費やしたので、量子論の基本原理の探求には家での余暇の時間しか充てられなかった。1963年彼は1年間の休暇を得てスタンフォード大学、ウイスコンシン大学、ブランダイス大学に滞在した。この海外滞在の間にジョンは量子力学の核心に関わる問題に真剣に取り組み始めた。アメリカ滞在中にベルはフォン・ノイマンの量子論に関する仮定に誤りがあることを見出した。ベルもフォン・ノイマンの導いた数学的内容には異論がなかった。フォン・ノイマンを陥れたのは、実は数学と物理学の接点だった。フォン・ノイマンは量子論の基礎に関する画期的な本の中で、議論の展開に不可欠なある仮定を置いた。ジョン・ベルはこの仮定は物理学的意味付けが不十分であると考えた。フォン・ノイマンはこの本の中で複数の観測可能量の和の期待値(確率で重みづけした平均値)は、個々の観測可能量の期待値の和に等しいと仮定した。しかし、この一見正しそうな仮定は観測可能量がお互いに交換不可能な演算子から導かれる場合には物理的に誤りであることをジョン・ベルは見出した。数学の用語を使わずに大まかにいうと、フォン・ノイマンはどういうわけか不確定性原理とその帰結を捨ててしまったことになる。不確定性原理によれば交換不可能な演算子は精度を落とすことなく同時に測定はできないからだ。量子論に隠れた変数が存在するかと言う問題を掘り返した機会に更なる一歩をふみだしEPRと「絡み合い」の問題に挑戦した。アインシュタインがポドルスキーとローゼン(EPR)が30年前に書いた論文を、かって読んだことがあった、ボーアらはこの論文に反論した。そのため誰もが間違っていたのはアインシュタインでありこの問題は既に解決したと信じていた。しかしベルはそう考えなかった。ジョン・ベルはかってEPRが繰り広げた主張には大きな真実が隠されていることに気づいた。彼は、正しかったのは実はアインシュタインだと悟った。誰もが「EPRパラドックス」と呼んでいたのは実はパラドックスではなかった。アインシュタインらが発見した現象は、宇宙の仕組みを理解する上で極めて重要なものだったのだ。しかし量子論が不完全だというわけではない。量子論と、アインシュタインの主張した現実性や局所性とが、どちらも正しいことはあり得ないということだ。もし量子論が正しければ局所性は成り立たない。もし局所性にこだわるのなら、微小の世界を記述する理論としての量子論は間違っていることになる。
ジョン・ベルは二編の画期的な論文を書いた。第一の論文の中で量子力学に隠れた変数は存在しえないとするフォン・ノイマンらの定理はどれも欠陥を持っていることを証明した。そしてベルは改めて、隠れた変数は存在しないことを示す定理を独自に導いた。第二の論文は「アインシュタイン=ポドロスキー=ローゼンのパラドックスについて」という題だった。この論文には大きな可能性をはらむ「ベルの定理」が記されていた。そしてこの定理が量子現象に対する我々の考え方を一変させることになる。ベルのとりあげたEPRパラドックスはデヴィット・ボームによって単純化された改良版の方だった。彼は一重項状態にあり、お互いに絡み合った、スピン二分の一の二つの粒子について考えこの実験で何が起こるかを調べた。いずれにしてもベルの定理からは量子論は隠れた変数や局所性の仮定とは相容れないという結論が導かれた。ベルの定理は物理学における非常に強力な理論的帰結である。ベルは20世紀最大の数学者フォン・ノイマンを捕まえて、何の迷いもなく彼の仮定を誤っていると主張した。そして次に彼はアインシュタインを捕まえた。

アラン・アスペ(フランス)

アスペはボーアとアインシュタインの論争は詰まるところ、次のアインシュタインの確信に凝縮されていると考えた。「次の二つの主張のどちらか一方は放棄しなければならない。(1)波動関数の統計的記述は完全である。(2)空間的に隔たった二つの物体の現実状態は、お互いに独立している」アスペは1935年のEPR論文に記されたアインシュタインの主張が、ジョン・ベルの定理によって簡潔に表現されていることを直ちに理解した。EPRの論文をもとにベルは、量子力学が不完全なのか、あるいは量子力学は完全であり非局所的要素を持ち合わせているかを判断するための現実的な方法を提供しているのだ、と。ベルの定理は、隠れた補助的変数を持つ様々な「局所的」理論に幅広くあてはまる。量子力学は「不完全」でありアインシュタインの局所性の考えが正しいというのが、こうした理論の前提である。したがってこういった理論によれば、量子論的解釈は何らかの方法で「完全なもの」にする必要があり、その際にはアインシュタインの主張が成り立つようにしなければならない。つまり、ここで起こったことが別の場所に影響を及ぼすためには、ここからその場所に信号が送られなければならないということだ(そしてアインシュタインの特殊相対論によればこうした信号は光速以上で伝わることはない)。こうした前提に基づいて量子論を完全なものにするには、隠れた変数を見つけだし、それによって粒子や光子の振る舞いが説明できることを示さなければならない。お互いに離れた二つの粒子が相関を持っているのは、それらが一緒に生成した時に局所的な隠れた変数が与えられたからだと、アインシュタインは推測した。この隠れた変数はある種の手引書のようなもので、それらの振る舞いにはあたかも相関があるかのように見える。もし宇宙が「局所的」性質を持つなら(つまりアインシュタインが考えたように、超高速で伝わる通信や効果が存在しないのなら)量子論を完全にするために必要な情報はあらかじめ仕込まれた隠れた変数が運んでいるはずだ。
ジョン・ベルは、どんな隠れた変数理論を用いても、ボームによる改良版EPR実験における絡み合いの予測をはじめ、量子力学のあらゆる予測を再現はできないということを証明した。完全な量子論と局所的な隠れた変数理論はベルの不等式と言う場で衝突するのだ。ここでアラン・アスペはある重要なことを悟った。彼は量子論と隠れた変数理論との食い違いを利用すれば、あらゆる局所的な隠れた変数理論を葬り去ることができると考えられたのである。アスペは三種類の実験を行おうと考えた。一つ目は先人たちの実験の制度と信頼性を上げるための実験。一つの光路を用いた実験である。二番目は二つの光路を用いた実験を行うことにした。光路が二つあれば検出できる光子の数を増やせる。最後にアスペは1957年にボームとアハラノフが提案しジョン・ベルが定式化した実験を行うことにした。この実験では光子が光源から飛び出した後で、偏光子の向きが決められる。ここで実験車は次のような疑いをかけていることになる。「一方の光子や偏光子がもう一方の光子や偏光子に情報を送り、それをもとに二つ目の光子がその偏光子の向きを知り、それに合わせて自分の偏光を調節するかもしれない」そこでこのような情報の伝達を防ぐために実験者は偏光子の向きを後からランダムに選ぶ。アラン・アスペの目標であったこの第三の実験によって、ベルの不等式は確実に検証できる。一光路の偏光子を使ったこの実験からは、素晴らしい結果が得られた。ベルの不等式は標準偏差の九倍の確かさで敗れていた。この結果は、量子論で成り立ち、隠れた変数は存在せず、絡み合った光子の間には非局所性が成り立つという結論が、ほぼ確実に正しいことを示している。非常に説得力のある結果だった。次に彼は非局所性を確かめるための究極の実験に取り掛かった。光子はお互いに何か信号をやり取りしているのか、あるいは量子力学と非局所性が示すように、光子は信号を交換せずともお互いに瞬間的に影響を及ぼしあうのか。アスペは二つの光子が飛び出した後、それが光路をたどっている最中に、偏光子の向きを素早く変えられるような装置を設計した。アスペの第二第三の実験も成功し、局所性と隠れた変数は再び量子力学に敗れた。